16年前,初めて上京した時,(誰でもそうだと思うが)驚かされたの が,都会の電車だ。 |
岡山の片田舎で育った私には,そもそも「私鉄」とか「地下鉄」の概念 がない。電車といえば,それは即「国鉄(今のJR)」であり,「遠出 をする時に使う特別の乗り物」といった概念で捉えていた。 |
それに,私鉄にはやたらと「急行」「快速」「特急」といった仰々しい 種類があることも,不思議であった。最初,「急行」には当然のごとく 「急行券」が必要なのだ,と思い込み,わざわざ「普通」とか「各停」 を使ったこともあった位だ。 |
地下鉄が相互に乗り換えられる,ということにも,しばらく馴染めなかっ た。初めは,「丸ノ内線」「東西線」「千代田線」というのは,会社が 違うものと思っていたし,当然,乗り換える時は,別料金だと思ってい た。しばらくして,路線名の違いなのだと気付き,料金も通算でよいと 理解できたが,まだ,落し穴があった。「都営線」というのは,全く別 料金なのだった。ちなみに,当時は,「都営六号線」といった呼び方を していたように記憶している。記憶に間違いがなければ,これは今の 「三田線」のはず。 |
駅と駅の間隔が短いのも異様であった。下手をすれば,歩いた方が早い ような距離(何せ,隣の駅のプラットフォームが見える!)に平然と駅 舎が作られている。西武新宿線の都立家政駅で,この現象に初めて気付 き,気をつけて見ると,都内の私鉄沿線には,そうした立地が少なくな いと分かってきた。むろん,JRのローカル線では,こうした状況はほ とんど見られない。 |
あれだけ近い距離に,駅が並んでいるにも関わらず,都心では今なお, 新線の建設が進んでいる,というのも妙な感じだ。道路を利用するバス の定時性が保証できない以上,それも無理からぬことかな,とも思える し,丸ノ内の外側の,特に円周方向への移動を考えれば,環状路線の整 備を急ぐのも理屈の上では理解できるのだが。果たして,一貫した理念 の上で整備されているのだろうか,という素朴な疑問が湧いてくる。 |
むろん,「都市計画」研究者の端くれでもある私にとっては,それは重 要な研究課題でもあり,本来ならば,キチンとしたデータに従って発言 すべきことなのだろう。例えば,都内のある地点から,任意の地点への 移動時間の平均値を求める,といった地道なシミュレーションが必要 だ。実際には,時間帯,天候,乗り換え時間,平均待ち時間,といった データをすべての地点(少なくとも,駅,バス停ごとに)で揃えなけれ ばならないし,高齢化社会を迎える新世紀の提言のためには,さらに, 健常者,高齢者,車椅子などの補助具を必要とする者,といった場合分 けも不可欠となろう。細かく言えば,路面のデータ(特に傾斜・段差) も必要だ。ということを考えると,なかなか,真面目に取り組む気にな れない。どなたか,こんな大げさなシミュレーションをやる人はいない もんだろうか?(いなきゃ,自分でやるっきゃないけど) |
少し,話が脱線してしまった。 |
都会の電車事情で,今以って分からないこと。一言で言うと「マナーの 悪さ」。 |
駅の構内放送で,あれだけウンザリするほど「降りる方のためにドアの 前を空けてお待ちください」と言われているにもかかわらず,開くドア の真ん前に立つ(例外なく)オバサン。逆に,混雑しているのも降りる 人が結構多いのも一目瞭然なのに,戸口の前でしゃべくっているショー ガクセー(そもそも,何で小学生が電車通学なんや?),チューガク セー(下手すればコーコーセーですら)。要するに,いったん外へ出て 戸口を広く空ける,といった基本的な思いやりに欠けている輩の,何と 多いことよ。 |
ま,空いている時間帯を選んで通勤できる私は,チョー過密の満員電車 を知らないから気軽なことを言ってられるのかも知れない。けれど,電 車の乗降のマナーくらい,きちんとしつけぇい!,と怒鳴れない私は, せめてもの抵抗で,電車を降りる時は,真ん前に立つ人を避けずに降り ている(もちろん,それがヤバソウな仁は見極めた上で。ここらへんが 情けないけど)。 |