私は,電話は嫌いだ。かけるのもかかってくるのも。 |
電話をかける側は,どこにかけているか分かっているわけだから,心の 準備がある程度整えられる。これに対して,かけられた側は,どこから (それに何時)かかってくるのか,事前には分からない。にも関わら ず,かける側は,かけた相手がぶっきらぼうな応対をすると,「無礼」 「無作法」という評価を一方的にしてしまいがちだ。 |
むろん,「常識」に照らせば,電話を受ける側が,呼び出し音3回以内 に,受話器(正確には送受話器と呼びたい)を取り,止むを得ず,それ 以上待たせてしまった場合には,「お待たせしました」と付け加えた上 で,「こちらは○○でございます」と,受けた側がまず応答する,とい うことは十分承知しているつもりである。 |
この常識も知らない者を,電話の受付や交換手にする人はいないだろう。 民間の企業などでは,こうした些細な場面でのイメージダウンさえも避 けるからだ。 |
にもかかわらず,私は,電話を取ると「はい」と言ったきり,向こうが 名乗るのを待つことにしている。理由は,先に述べたように,かけた側 は,誰が電話口に出てくるか予測できるのに対し,こちらは,全くと いっていい程,予測ができないからだ。とすれば,少なくとも個人に電 話をかけるような場合には,まず,かけた側が名乗る,というのが正常 であるように思えるからだ。 |
かけるのも嫌いというのは,これの裏返しである。自分が嫌なことは, たぶん,相手もご同様だろう,といういたって自然な(利己主義的な?) 発想からである。 |
であれば,電話を無くせばよいではないかと,反論される向きもおあり であろう。そういうことを真面目に考えたこともあるが,いたって事務 的な用件の場合には,やはり電話は不可欠だし,救急時・緊急時のこと を考えると,全くなくすことは不可能だろう。 |
ということで,最近は,研究室の電話は,FAX付きの留守番電話にし てある。実情を暴露すれば,ここ数年来,いわゆる「資格商法」なるも のに悩まされている。いきなり電話をかけてきておいて,生来の人の良 さで電話を切れずにいるうちに,アヤシゲな教材を法外なローンととも に吹っかけられるというアヤシイ商法である。(電話嫌いに一層拍車を かけた原因でもある)数度,面倒になって応じてしまったが,さすがに 何度も「手をかえ品をかえ」というあの業界(なんだろうか?)のやり 方に耐え兼ね,電話に出ることすら億劫になってしまった。彼等の常套 手段は,いかにも友人・知人であるかのように,名前(たぶん本名じゃ ないんだろうなぁ)だけを告げ,電話口に出ると,(たぶん手元に応対 マニュアルがあるんだろう)機関銃のように,何やらもっともらしい理 屈をまくしたて,あげくの果てには「金を出せ」と(ダイレクトには言 わないが)迫ってくるのだ。 |
私のような,「人間はみんないい人」と思いたがっている人種は,最高 のカモらしい。ここ3年ほどは,さすがに,こちらの応対の仕方も(彼 等の真似ではないが)一方的にこちらの言い分だけ言って一方的に切 る,というように慣れてはきた。 |
が,やはり,後味は悪いし(そういうところつけ込まれるのだが),そ ういう電話を受けること自体腹だたしい。 |
その点留守番電話にしておけば,そういうイカガワシイ連中は(おそら く証拠を残したくないという理由もあるのだろうが),多少のやましさ からか,メッセージを残すことがないので,精神的な平和を保てる。本 当に重要な用件で掛けてきた人には申し訳ないが,そういう人は限られ ているし,緊急の場合なら,メッセージは残しておいてくれる。それ に,途中で知人だと分かれば,応対もできるし,最悪の場合,こちらか ら連絡できる。 |
ただ,最近反省しているのは,留守番の応答メッセージをメーカーの標 準設定(あの中性的な,いかにも事務的な応答メッセージ)にしたまま なのはまずいなァという点である。あれでは,かけた側がメッセージを 残すのを躊躇してしまう(本当に目的の相手かどうか確認できないか ら)のも,止むを得ないのだから,BGM付きの肉声メッセージに替え ようか,と思い始めたところである。 |