電話

(1995.11.28)

   私は,電話は嫌いだ。かけるのもかかってくるのも。
   電話をかける側は,どこにかけているか分かっているわけだから,心の 準備がある程度整えられる。これに対して,かけられた側は,どこから (それに何時)かかってくるのか,事前には分からない。にも関わら ず,かける側は,かけた相手がぶっきらぼうな応対をすると,「無礼」 「無作法」という評価を一方的にしてしまいがちだ。
   むろん,「常識」に照らせば,電話を受ける側が,呼び出し音3回以内 に,受話器(正確には送受話器と呼びたい)を取り,止むを得ず,それ 以上待たせてしまった場合には,「お待たせしました」と付け加えた上 で,「こちらは○○でございます」と,受けた側がまず応答する,とい うことは十分承知しているつもりである。
   この常識も知らない者を,電話の受付や交換手にする人はいないだろう。 民間の企業などでは,こうした些細な場面でのイメージダウンさえも避 けるからだ。
   にもかかわらず,私は,電話を取ると「はい」と言ったきり,向こうが 名乗るのを待つことにしている。理由は,先に述べたように,かけた側 は,誰が電話口に出てくるか予測できるのに対し,こちらは,全くと いっていい程,予測ができないからだ。とすれば,少なくとも個人に電 話をかけるような場合には,まず,かけた側が名乗る,というのが正常 であるように思えるからだ。
   かけるのも嫌いというのは,これの裏返しである。自分が嫌なことは, たぶん,相手もご同様だろう,といういたって自然な(利己主義的な?) 発想からである。
   であれば,電話を無くせばよいではないかと,反論される向きもおあり であろう。そういうことを真面目に考えたこともあるが,いたって事務 的な用件の場合には,やはり電話は不可欠だし,救急時・緊急時のこと を考えると,全くなくすことは不可能だろう。
   ということで,最近は,研究室の電話は,FAX付きの留守番電話にし てある。実情を暴露すれば,ここ数年来,いわゆる「資格商法」なるも のに悩まされている。いきなり電話をかけてきておいて,生来の人の良 さで電話を切れずにいるうちに,アヤシゲな教材を法外なローンととも に吹っかけられるというアヤシイ商法である。(電話嫌いに一層拍車を かけた原因でもある)数度,面倒になって応じてしまったが,さすがに 何度も「手をかえ品をかえ」というあの業界(なんだろうか?)のやり 方に耐え兼ね,電話に出ることすら億劫になってしまった。彼等の常套 手段は,いかにも友人・知人であるかのように,名前(たぶん本名じゃ ないんだろうなぁ)だけを告げ,電話口に出ると,(たぶん手元に応対 マニュアルがあるんだろう)機関銃のように,何やらもっともらしい理 屈をまくしたて,あげくの果てには「金を出せ」と(ダイレクトには言 わないが)迫ってくるのだ。
   私のような,「人間はみんないい人」と思いたがっている人種は,最高 のカモらしい。ここ3年ほどは,さすがに,こちらの応対の仕方も(彼 等の真似ではないが)一方的にこちらの言い分だけ言って一方的に切 る,というように慣れてはきた。
   が,やはり,後味は悪いし(そういうところつけ込まれるのだが),そ ういう電話を受けること自体腹だたしい。
   その点留守番電話にしておけば,そういうイカガワシイ連中は(おそら く証拠を残したくないという理由もあるのだろうが),多少のやましさ からか,メッセージを残すことがないので,精神的な平和を保てる。本 当に重要な用件で掛けてきた人には申し訳ないが,そういう人は限られ ているし,緊急の場合なら,メッセージは残しておいてくれる。それ に,途中で知人だと分かれば,応対もできるし,最悪の場合,こちらか ら連絡できる。
   ただ,最近反省しているのは,留守番の応答メッセージをメーカーの標 準設定(あの中性的な,いかにも事務的な応答メッセージ)にしたまま なのはまずいなァという点である。あれでは,かけた側がメッセージを 残すのを躊躇してしまう(本当に目的の相手かどうか確認できないか ら)のも,止むを得ないのだから,BGM付きの肉声メッセージに替え ようか,と思い始めたところである。